用語集


アダモ・タドリーニ(1788-1868年):
イタリア人の彫刻家で、ボローニャで生まれる。ボローニャで彫刻の見習いを始める。1813年からローマへ赴き、カノーヴァの工房に入り、原作の原型を用いた幾つかのレプリカを彫り上げ、カノーヴァの影響を受ける。アカデミア・ディ・サン・ルカで彫刻の教師を務め、神話の群像、墓碑や非宗教的な記念建造物を制作した。

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アプレイウス:
ラテン語の作家、123年-125年頃マダウロス(今のアルジェリアのマダウルシュ)で行政官の息子として生まれる。ローマ、カルタゴ、アテネで弁論や文学を学び、東方の神秘宗教の手ほどきを受ける。数々の講演や哲学論文を残したが、最も有名な作品は物語『変容(黄金のロバ)』。170年頃にカルタゴで没する。

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荒削り:
彫刻の主要な面を彫り出すために、必要なだけ素材を取り除くこと。

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アレハンドラ ・フィゲロア:
メキシコ人の女流写真家で、1992年からフランスで活動。彫刻に対する独特なアポローチで有名。ルーヴル美術館で《息づく石たち》と題されるシリーズの写真を制作した。

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アンブロシア:
アンブロシアは、ネクタールと同様に、神々の飲み物で、不死の源といわれていた。アンブロシアを与えられた人間は神格化される。

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オーギュスト・ロダン(1840-1917年):
フランスで最も有名な彫刻家の一人だが、彫刻家としての初期は容易ではなかった。エコール・デ・ボザール(芸術院)の試験に落第し、カリエ・ベルーズのアトリエで装飾家として働く。サロンに作品を提出したが落選。1875年、イタリアに向い、特にミケランジェロの作品を研究した。しかしフランスの大衆の心を徐々につかんでゆき、ロダンが情熱をかけた、動きのある作品や、心の琴線に触れるその比類なき様式が称賛されるようになった。1880年に着手した《地獄の門》を亡くなるまで制作し続けた。この作品は、約200点の人物像から構成され、人間の受難情念をテーマとした大型の寓意で、この中にかの有名な《考える人》も含まれている。1880年を境に国際的に活躍する。

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石彫用の鑿(のみ):
平たいあるいは尖った、歯形の刃が付いた道具。比較的正確に形を彫り出す時に用いる。この石彫用の鑿(のみ)は石に小さな溝を残すが、研磨することで、容易に取り除くことが出来る。

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オリュンポス:
テッサリアとマケドニアの間にある、ギリシアの北部の山地群、ギリシアの最高峰で山頂はしばしば雲に覆われている。古代ギリシアでは、神々はオリュンポス山に住むと言われていた。

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ガスパーレ・ランディ(1756-1830年):
イタリア人の画家で、ピアチェンツァで生まれる。1781年ローマを訪れ、ローマの主要画家であったポンペオ・バトーニの下で学び、カノーヴァの友人。アカデミア・ディ・サン・ルカの学長であったカノーヴァの後を継ぐ。優秀な肖像画家で、自然主義を帯びた新古典主義の作品を制作した。

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カルム・コルヴィン:
1961年にグラスゴーで生まれる。彫刻の免状を取得してからロンドンのロイヤル・カレッジに入学し、写真を学ぶ。現代写真芸術の偉大なる改革者の一人。

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カルロッタ邸:
カルロッタ邸は1690年にイタリア北部、コモ湖の畔に建てられた。弁護士ジョヴァンニ・バッティスタ・ソマリーヴァ(1760-1826年)のよって改築され、数々の彫刻が置かれた。その中に、カノーヴァの作品が幾つか含まれていた。カルロッタ邸は現在、一般に公開されている。

http://www.villacarlotta.it/sito/index.php

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原作(原型)のレプリカ:
彫刻では、多少の相違点の有無に関わらず、師の作品に用いられた原型から作ったレプリカを指す。

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クピド:
愛の神アモルで、ギリシア語でエロスともいう。一般的に矢筒、弓や矢を手に持つ、有翼の青年または子供の姿で表わされる。しばしば彼の母親とみなされるアフロディテと共に表される。彼が放つ矢に打たれると恋に落ちてしまう。

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下彫(したぼり)彫刻家:
彫刻では、彫刻される石の荒削りを担当する職工。

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ジャン=ピエール・サントゥルス(1752-1809年):
エマイユの絵付師であるジャック・サントゥルスの息子。パリのアカデミーの生徒で、1780年ローマに向う前まで、ダヴィッドとともにジョゼフ=マリー・ヴィアンの工房で働く。1792年までローマに滞在し、その後亡くなるまでジュネーヴに住む。革命思想を持ち、新古典主義者で、古代の歴史を主題とした絵を描く。その他、幾つかの風景画や数々の肖像画を残している。

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ジョン・ディアー:
イギリス人の彫刻家。宝石商の息子としてリヴァプールで生まれる。子供の頃から彫刻の才能を発揮し、1780年、王立芸術院で金メダルを取得。1785年、イタリアへ赴き、その後の人生をイタリアで過ごす。イギリス人美術愛好家から多くの注文を受けた。

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ゼフュロス:
風の神アイオロスの息子で、西風の擬人化。エロス(アモル)とプシュケの伝説では、プシュケをアモルのもとに送り届けた。しかしプシュケが、アモルの顔を見ることは許されなかった。

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プシュケ:
女神に昇格されたギリシアの王女で、魂の擬人化。その名前は「魂」と同時に「蝶」をも意味する。アプレイウスは『変容』(『黄金のロバ』とも呼ばれる)と題する物語の中で、クピドとの愛の伝説を語っている。

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フェリックス・ブラックモン(1833-1914年):
フランス人の画家および版画家。1852年のサロンでデビューし、1874年、第1回印象派展に出展。ルソー、コロー、マネに版画を教え、幾つかの理論的な著作を出版して、版画への関心の回復に貢献した。

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フランチェスコ・キアロッティーニ(1748-1796年):
画家および素描家で、イタリアのチヴィダーレで生まれる。1760年、ヴェネツィアのアカデミアに入学し、ドメニコ・ティエポロなどのもとで学ぶ。古代廃墟の空想的な風景画やだまし絵で有名になった。

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ベニーニュ・ガニュロ(1756-1795年):
ディジョンで生まれ、ディジョンの町の素描学校に通う。ブルゴーニュ地方自治議会のローマ賞最優秀賞を受賞し、同年イタリアに向う。若くして亡くなるまでイタリアに住んだ。ヴィラ・ボルゲーゼの天井などを担当し、スウェーデンの王から幾つかの大きな注文を得た。主に神話や歴史をテーマとした、きわめて繊細で優美な作品を制作している。

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ヘルクラネウム:
(1969年からエルコラーノ)ナポリの東部に位置する古代ローマ都市。紀元79年のヴェズヴィオ火山の噴火で壊滅し、火山泥の下に埋もれてしまった。ポンペイから数キロに位置し、ポンペイと同様に1738年の発掘の際に発見される。その発見により、ヨーロッパ全土において新古典主義が開花した。

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艶を出す:
石の表面を何回か軽く研磨にかけ、なめらかにすること。蝋で磨いたような光沢が得られる。

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ミレトス:
紀元前11世紀頃には存在した、ギリシア人によって建設されたイオニア(現在のトルコ)の古代都市で、経済的にも文化的にも栄えていた。紀元前6世紀になると、アポロンを奉る神殿の神託を受けるために人々はギリシアのみならず他国からも訪れるようになった。

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ユスポフ:
ニコライ・ボリソヴィッチ・ユスポフ公(1750-1831年)は元老院議員、国務院のメンバー(1823年)、帝国及び公国の国務諮問会議大臣(1800-1816年)、皇室劇場の監督官などを務め、エカチェリーナ2世の治世下ではヴォルテールと文通し「ロシアの文化庇護者」とみなされる。彼の絵画及び工芸品コレクションは、ヨーロッパで最も豊かなコレクションの一つとされている。

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ウェヌス(ヴィーナス):
古代ギリシアではアフロディテとも呼ばれる。愛、誘惑、美の女神、オリュンポスの偉大な12神に属し、ヘパイストス(ウルカヌス)の妻であるが、アレス(マルス)などと恋愛を重ねる。その威力は絶大で残酷なまでの嫉妬心を持つ。

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